おやぢは西へ -其之序-

『ひかりは西へ』。このコピーが使われた山陽新幹線の新大阪駅〜岡山駅開業(1972年3月)から33年、岡山駅〜博多駅開業(1975年3月)から30年。なれど、広島からのお呼びに馳せ参じるおやぢの足はいつもの愛車。
73時間と走行距離1,936kmの西域遠征は夜も更けた22:00過ぎ、土砂降りの中で幕を開けた。
pre02.jpg北陸道〜名神〜中国道と乗り継いで、翌早朝、人影も疎らな作州大原へ。
吉川英治の著では、ここ美作国宮本村(旧英田郡大原町・現美作市)で剣聖と称される宮本武蔵が生まれたとされているるが、実際には播磨の米堕村(よねだむら・現高砂市米田町)で生まれ、養子に入るため美作の宮本村に移ったとするのが正しいらしい。
また、揖東郡鵤の庄宮本村(太子町宮本)で生まれたとの説もあるとのこと。
武蔵自身の手になる『五輪書』に『生国播磨』と書かれていることから、わずかなつながりを元に「我が地こそ…」と手を挙げるのだろうが、それだけ所縁を欲しがる地が多いということか。
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事の真偽は研究家諸氏に譲るとして、取りあえず同地に設けられた『武蔵の里』でしばし時間調整。
【写真↑】二度建替えられたものの、ここが生家とされている
【写真←】生家に隣接する『宮本武蔵生誕地』の碑
先に訪ねたのは、NHKで大河ドラマをやっていた頃だっただろうか。
もっとも、この街道を智頭宿に向かう際に、やたら立てられたのぼりを横目に通り過ぎただけだったから、実際に目にするのは今回が初めてだ。こんな山里に立派な施設が建ち並ぶ。「維持費がたいへんだろうなぁ」と、要らぬお節介を。
広々した駐車場で「仮眠できれば…」と思いつつ、道中で飲んだ眠気覚ましが効いているのか、ちっとも眠くならない。
まいった。(´ヘ`;)ハァ
そうこうしている間に朝早くからの訪問に応じてもらった先との約束の時間だ。
【つづく】