年明けの便り

木曾の佐藤阡朗さんの46回目となる『たらの芽通信』を拝借いたしまする。
 

ある年齢になって

 若い時代にはお年寄りから言われても「そんなものかな・・そうかもしれない・・」で身に迫って感じなかった事が、今おおきく「此の事だったのか!」と思い知らされることがよくある。
 儒學の朱子の言葉である。「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」がある。戦後希望の失せそうな時代に何遍も聞かされた教訓であった。又、
 札幌農学校のクラーク博士の碑文に、別れる生徒達へはなむけの言葉「少年よ、大志を抱け!」がある。今でも青少年はこれらを聞いて育っているだろうか。
 司馬遼太郎が1989年に小学5年、6年生用に気を入れて著した教科書の文が在る。「二十一世紀に生きる君たちへ」と「洪庵のたいまつ」である。彼はこの短文二篇を校了した時、長編歴史小説を完成させるより疲れたと洩らしたそうである。ことに「洪庵のたいまつ」の冒頭の書き出しは昨今への鉄槌の感がある。
 「世のために尽くした人の一生ほど、美しいものはない」とある。江戸末の緒方洪庵の生き方、適塾の教育活動と死についての美学である。僅かしか無いこの能力を約70年間、すこしはお役に立てたか、内心忸怩(じくじ)たるものがある。
 本当に時は瞬く間に過ぎ去る。ある年齢になって実感が伴う。

2011年1月

 
頭の上の蝿を追うことすらままならないようではとても…なれど、無情にも時は流れていきまする。
時よ止まれ!
ただ、これが叶うと、いつまで経ってもお酒は熟しませんなぁ。(苦笑)

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お年賀

謹賀新年

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ゆく年くる年 -2010-

慌ただしかった暮れもとうとう大晦日ですな。
 
“貧乏酒屋歳末たすけあい” にたくさんのお力添えをお寄せいただき、ありがとうございました。
本年もまたひとかたならぬお世話になりましたことを心から感謝申しあげまする。
 
来たる年がみなさまとまっとうな燗酒との縁がより深まる年となりますよう、
また、お健やかで幸多い年となりますようお祈り申しあげます。
 
どうぞよいお年をお迎えください。
 
 

庚寅大晦 燗酒おやぢ拝   
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歳末たすけあい

年末恒例『貧乏酒屋たすけあい運動』絶賛実施中!!
っていうか、一方的おたすけ請願ですな。(笑)

なにとぞよしなに!! (笑)


もっとも、年末に限らず年がら年中なんですが…。(爆)

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死んだふり

いくら何でもゼロはまずかろう…ってことで、写真でも。

小笹屋竹鶴 番外編H18BY純米原酒


あちこちで噂になっているであろう、あのお酒の酒母ですな。
これと初めての生酛純米吟醸、二つの酒母にニンマリしていた3年前の冬♪

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誕生日の娘たちへ

ゆっくり、じっくり


まだまだ先は長いぜよ♪

とはいうものの、取りあえず…

オメデト〜!!

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いただきもの

さかずきんちゃん気をつけて (笑)


黄色で金運も上昇してくれますように♪ (笑)

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WPtouch

for iPhone and Android user


気にはなっていたものの、ついついメンテナンスを怠っていた拙“草庵”。
Twitterへの投稿告知とともにiPhoneやAndroidなどのスマートフォンからも閲覧しやすいように『WPtouch』というプラグインを入れました。
スマートフォンのブラウザからここへアクセスすると、右のようなレイアウトで表示されるはずです。

WordPressユーザなら、下記のRequirementsから無料版をダウンロードするか、管理画面からプラグインの新規追加で『WPtouch』をキーにして探し、簡単にインストールできますから、試してみられては?

faviconのカスタマイズはいずれまた♪

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ワイン畑からようこそ

「え、ぶどう畑じゃないの?」と思われるかもしれないけれど、赤塚不二夫大先生のお言葉どおり…
これでいいのだ〜!(笑)

「今までワインだったけど、◯◯を飲んでみたら、日本酒もおいしんですね」という方が少しずつ増えているようです。
どんなワインを召しあがっていたのかは知りませんけれど、そういう方々は複雑な酸(有機酸)が織りなす味わいをご存じなだけに、残糖だらけの甘甘なアルコール入り砂糖水やカプロン酸エチル・酢酸イソアミルなど香水と見紛うばかりのプンケバ酒に狂喜乱舞している下手な日本酒ファンよりよほど「おいしい」「おもしろい」の許容範囲が広いのです。
加えて、それなりのものを飲もうとすると日本酒よりも遙かに高くついてしまう彼の酒に比べ、「一升瓶で4〜5千円なら安いですよ」と吟醸はもちろん、物によっては大吟醸クラスまで視野に入れて選んでくださるから、偏人酒屋にとっては二重にありがたい存在でいらっしゃいまする。(笑)

こうした方々のほとんどが女性というのは、やはり財布を握っている強みでしょうか。
なれど、日本酒といえばたっぷりアル添された薄酒や擬きパック酒、ビールはもちろんとてもビールとは呼べぬ発泡酒や雑酒・リキュールを宛がって、「やれ稼げ、それ稼げ」とムチを振るだけの鬼◯よりも、まっとうな日本酒のご相伴に与れるだけまだマシかと。(笑)

ただ、少々残念なことが無きにしも非ず。それは…

つい知識を仕入れたばかりに、原料米や麹・酒母に『自然』や『能書』を求めること。彼の畑でもいえると思うのだけれど、『自然』や『能書』を求めるのは何のためか?
農法や製法はひたすらワインをおいしくするためのものであって、『自然だからおいしい』のではなく、『自然を活かしたからおいしい』、そして『能書はあくまでも後付け』という当たり前のことをしっかり肝に銘じた上で『自然』や『能書』を賞賛して欲しいということ。『自然』や『能書』に拘った挙げ句にできあがったワインがボロだったら、それは本末転倒も甚だしく、最も避けなければいけない勘違いでしょう。

お客様からのいただきもの♪

日本酒には『柄が悪い』という言葉があります。やらなければならないことをきちんとやり、やらなくてもいいことに手間暇を割かなければ、自ずからまっとうな酒となり、決して柄が悪くなるはずもないのですけれど、ネタ探しに余念がないマスゴミの農法・製法礼讃に踊らされ、そうした柄の悪さまで誉めそやしている頭でっかちになって欲しくはありませぬ。
せっかく日本酒畑にお出でくださったのですから、どうぞ『柄の良い』まっとうな酒を思う存分楽しんでくだされ。

「え、どれがまっとうな酒なのか?」
ワインも日本酒も製法的にはほぼ完成され、残すは良質な原料の確保とそれを活かしきれる腕を持つ造り手だけといっても過言ではないでしょう。いたずらに理や利に走らず、きちんと本質を見極めている造り手なら、そうそうボロを生み出すことはありますまい。
それと、革新がすべてではないということ。古典的なスタイルであっても素晴らしいワインや日本酒を生み出している造り手はいます。
ですから、農法や製法は二の次、モノが見えている造り手を先ずは探してみてください。

「そんなことをいわれても一消費者が知り得る情報には限度があるですって?」
ごもっとも。(笑)
そのために、呑ませ手(飲食店)や売り手(酒屋)がいるのです。お近くにいなければ、もそっと行動半径を広げて♪
もしくは、『類は友を呼ぶ』の言葉どおり、いい呑み手とお知り合いになることが手っ取り早いかも♪ (笑)

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冷や卸し考

【Twitterでいただいた問い掛けに対して、自分なりに日頃から思っていることをまとめたもの】


 
新酒時にやむを得ず…という場合を除き、基本的に生酒は認めないのが小店のスタンスです。

せっかく世界に先駆け、最も早く(*1)火入れという技を見出しながら、それを使いこなさない、あるいは使いこなせないことに対して疑問を禁じ得ません。
熟成させてこそうまくなるのがまっとうな酒と思いますから、その酒質の安定を図ることは当然ですし、そのために不確定要素は限りなく減らすに越したことはありません。
そこで火入れの技を用いる訳ですが、ただ一つの欠点は熟成がまた遅れることでしょう。
生詰・生貯は、いずれも自身の酒に求める酒質や型、そして熟度をしっかり見極めている蔵が、一つ一つの酒に最も相応しい香味を活かしたい時に使いこなせば、その存在価値はあると思っています。

ですから、きちんと頃合いを見計らって出されるごく一部の「生詰」には、二度火入れでは味わえない香味があり、その楽しさゆえにイチ押しとする酒もあります。
ただし、風物詩的にただのウリの道具にしてしまっている昨今の「冷や卸し」騒動となると話は別。踊らにゃ損とばかりに煽り立てる方にも、まんまと踊らされる方にも開いた口がふさがりません。
こういうツッコミどころ満載の記述 もあります。(笑)

冷蔵設備もない時代に暑い夏を越え、秋らしい冷気に包まれる頃になってようやく程好く熟した酒を大桶から出荷用の樽に卸す(移し替える)ことから「冷や卸し」と呼ばれるようになった本来の姿からすれば、そう呼ぶに相応しい熟度を得てこその冷や卸しではないでしょうか。

言い過ぎたついでにもう少々。いくら熟成が早いとはいえ、火入れを忌み嫌い、生酒、特にできたままが最上とする無濾過生原酒礼讃には大いなる勘違いとしか思えないのです。
火入れに耐えない酒なのか、はたまた火入れという技を使いこなすだけの腕がないのか。「いい酒は冷やで」という造り手の喧伝が今も持って尾を引いている現状を見るにつけ、自分で自分の首を絞めることになりはしないか。
酒造りというと仕込みだけに目を向けがちですが、蔵から出る時まで、もっと極端にいえば口にされる時までが酒造りでしょう。上槽後の扱い次第ではどんなにいい酒であっても駄酒に成り下がってしまうのですから。

ですから、仕込みの技だけで云々するのは片手落ち。調合と濾過や火入れまでを含めてこその技ですし、それをきちんと確立しているならまだしも、軽視したり、避けて通っている限りまっとうな酒を生み出すことはできないでしょう。
酒造りも新しい米や酵母ばかりではなく、蒸米・濾過・火入れなど、地味ながら基本となる技についてまだまだ研鑚の余地は残されています。疎かにされがちなそうした技にも地道に取り組み、正統な味わいを正しく伝える努力を怠らないこと。それなくして日本酒の復権はないものと思います。
 


    (*1) ●世界に先駆け、最も早く
      これについては『北山酒経』に「酵」という表現で、加熱殺菌を意味する「煮酒」の技法が記載されているとのことから、不適切と判断し、打ち消し線を入れました。
      ご教示いただいたN氏に感謝し、併せて訂正いたします。

      【参照】→ Wikipedia日本語版>日本酒>注釈
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