光のどけき春の日に…といいつつ、今日は雨♪ (笑)
とうとう二月は更新ゼロ!という体たらくぶり。
それもこれも「長い文章を書くのが億劫になった」というTwitterシンドロームでしょう。
まぁ、気が向いたら、またボチボチと…って殊で、どうぞよしなに。m(_ _)m
光のどけき春の日に…といいつつ、今日は雨♪ (笑)
とうとう二月は更新ゼロ!という体たらくぶり。
それもこれも「長い文章を書くのが億劫になった」というTwitterシンドロームでしょう。
まぁ、気が向いたら、またボチボチと…って殊で、どうぞよしなに。m(_ _)m
木曾の佐藤阡朗さんの46回目となる『たらの芽通信』を拝借いたしまする。
ある年齢になって若い時代にはお年寄りから言われても「そんなものかな・・そうかもしれない・・」で身に迫って感じなかった事が、今おおきく「此の事だったのか!」と思い知らされることがよくある。
儒學の朱子の言葉である。「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」がある。戦後希望の失せそうな時代に何遍も聞かされた教訓であった。又、
札幌農学校のクラーク博士の碑文に、別れる生徒達へはなむけの言葉「少年よ、大志を抱け!」がある。今でも青少年はこれらを聞いて育っているだろうか。
司馬遼太郎が1989年に小学5年、6年生用に気を入れて著した教科書の文が在る。「二十一世紀に生きる君たちへ」と「洪庵のたいまつ」である。彼はこの短文二篇を校了した時、長編歴史小説を完成させるより疲れたと洩らしたそうである。ことに「洪庵のたいまつ」の冒頭の書き出しは昨今への鉄槌の感がある。
「世のために尽くした人の一生ほど、美しいものはない」とある。江戸末の緒方洪庵の生き方、適塾の教育活動と死についての美学である。僅かしか無いこの能力を約70年間、すこしはお役に立てたか、内心忸怩(じくじ)たるものがある。
本当に時は瞬く間に過ぎ去る。ある年齢になって実感が伴う。2011年1月
頭の上の蝿を追うことすらままならないようではとても…なれど、無情にも時は流れていきまする。
時よ止まれ!
ただ、これが叶うと、いつまで経ってもお酒は熟しませんなぁ。(苦笑)
慌ただしかった暮れもとうとう大晦日ですな。
“貧乏酒屋歳末たすけあい” にたくさんのお力添えをお寄せいただき、ありがとうございました。
本年もまたひとかたならぬお世話になりましたことを心から感謝申しあげまする。
来たる年がみなさまとまっとうな燗酒との縁がより深まる年となりますよう、
また、お健やかで幸多い年となりますようお祈り申しあげます。
どうぞよいお年をお迎えください。
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faviconのカスタマイズはいずれまた♪
「え、ぶどう畑じゃないの?」と思われるかもしれないけれど、赤塚不二夫大先生のお言葉どおり…
これでいいのだ〜!(笑)
「今までワインだったけど、◯◯を飲んでみたら、日本酒もおいしんですね」という方が少しずつ増えているようです。
どんなワインを召しあがっていたのかは知りませんけれど、そういう方々は複雑な酸(有機酸)が織りなす味わいをご存じなだけに、残糖だらけの甘甘なアルコール入り砂糖水やカプロン酸エチル・酢酸イソアミルなど香水と見紛うばかりのプンケバ酒に狂喜乱舞している下手な日本酒ファンよりよほど「おいしい」「おもしろい」の許容範囲が広いのです。
加えて、それなりのものを飲もうとすると日本酒よりも遙かに高くついてしまう彼の酒に比べ、「一升瓶で4〜5千円なら安いですよ」と吟醸はもちろん、物によっては大吟醸クラスまで視野に入れて選んでくださるから、偏人酒屋にとっては二重にありがたい存在でいらっしゃいまする。(笑)
こうした方々のほとんどが女性というのは、やはり財布を握っている強みでしょうか。
なれど、日本酒といえばたっぷりアル添された薄酒や擬きパック酒、ビールはもちろんとてもビールとは呼べぬ発泡酒や雑酒・リキュールを宛がって、「やれ稼げ、それ稼げ」とムチを振るだけの鬼◯よりも、まっとうな日本酒のご相伴に与れるだけまだマシかと。(笑)
ただ、少々残念なことが無きにしも非ず。それは…
つい知識を仕入れたばかりに、原料米や麹・酒母に『自然』や『能書』を求めること。彼の畑でもいえると思うのだけれど、『自然』や『能書』を求めるのは何のためか?
農法や製法はひたすらワインをおいしくするためのものであって、『自然だからおいしい』のではなく、『自然を活かしたからおいしい』、そして『能書はあくまでも後付け』という当たり前のことをしっかり肝に銘じた上で『自然』や『能書』を賞賛して欲しいということ。『自然』や『能書』に拘った挙げ句にできあがったワインがボロだったら、それは本末転倒も甚だしく、最も避けなければいけない勘違いでしょう。
「え、どれがまっとうな酒なのか?」
ワインも日本酒も製法的にはほぼ完成され、残すは良質な原料の確保とそれを活かしきれる腕を持つ造り手だけといっても過言ではないでしょう。いたずらに理や利に走らず、きちんと本質を見極めている造り手なら、そうそうボロを生み出すことはありますまい。
それと、革新がすべてではないということ。古典的なスタイルであっても素晴らしいワインや日本酒を生み出している造り手はいます。
ですから、農法や製法は二の次、モノが見えている造り手を先ずは探してみてください。
「そんなことをいわれても一消費者が知り得る情報には限度があるですって?」
ごもっとも。(笑)
そのために、呑ませ手(飲食店)や売り手(酒屋)がいるのです。お近くにいなければ、もそっと行動半径を広げて♪
もしくは、『類は友を呼ぶ』の言葉どおり、いい呑み手とお知り合いになることが手っ取り早いかも♪ (笑)