重陽の節供

10年ぶりに過去の投稿を引っ張り出してきた。

重陽の節供の名前くらいは見聞きしたことはおありだろうが、その由来は…

古来中国では、奇数はよいことを表す陽数、偶数は悪いことを示す陰数と考え、その陽数が連なる日は、めでたい反面、不吉なことが起こると考え邪気祓いをしたのが五節供の始まりです。その中でも一番大きな陽数(9)が重なる9月9日を、陽が重なると書いて「重陽の節供」と定め、不老長寿や繁栄を願うようになりました。

「重陽の節供」は菊を用いることから、別名「菊の節供」と呼ばれています。菊は長寿をもたらすおめでたい花であり、強い香りで邪気を祓うとされてきました。日本では平安時代初期に貴族の宮中行事として取り入れられ、中国から伝来したばかりの珍しい菊を眺めながら「菊酒」を飲む華やかな「菊花の宴」が行われていました。前の晩に菊に綿を被せておき、九日の朝、夜露と香りのしみこんだ綿で体を拭いて不老長寿を願う「被せ綿」(きせわた)は、重陽の節供を象徴する行事です。そして、江戸時代には五節供のひとつに数えられ、諸大名が江戸城に集まって菊酒を飲み、栗飯を食べて菊花を観賞しました。 やがて菊の花とともに、重陽の節供も庶民へと広がっていきました。


【出典】暮らし歳時記-重陽-より
 
平安時代、朝延のしきたりとして、重陽(ちょうよう)の節供(旧暦9月9日)から上巳(じょうし)の節供(旧暦3月3日)までの寒い間、暖をとる目的で酒を温めて、つまり燗酒を飲んだとされる。
このおかげで、燗をすることにより日本酒の風味がいっそう引き立つことが知られるようになり、その後、洗練されていった酒づくりと相まって、燗の風習は次第に定着したのだが、残念なことに、それは宮中においてのみのことであって、庶民までが燗酒を飲むようになったのは江戸時代も元禄になってから。
全国的に普及したのはさらに遅れて明治になってからのこと。
 
過去はともかく、今は『まっとうな酒は燗でさらにうまくなる』を知る人も増えたことだし…
『春夏秋冬、酒は燗酒』でいきまっしょい!! 🙂
 
今年は10月17日(水)が旧暦の9月9日に当たるため、本番はその日に。