まったく裏腹の2本の電話が…。
【1本目】
「上原先生のこと知ってます?」「いいえ、何かあったんですか?」胸騒ぎが…。
「昨夜、亡くなられました」愕然。
uehara_1.jpg初めてお目にかかったのは3年前の1月12日。場所は鳥取空港。鳥取の蔵巡りをするという某居酒屋の主と元燗番娘K嬢に同道を願ったら、山形からの帰りに立ち寄られたという先生がご一緒。
「儂も行くでな」とありがたいお言葉。
昼食を摂った店で「あんたにやるわい」と出版されてまもなくの“純米酒を極める”にサインを入れてくださった。
その後、“日置桜”山根酒造場で解説を交えながらの醸造指導。煮酒さんこと、がんこ酒屋の店長氏、生?の酒母と悪戦苦闘していた加藤現久保本家酒造杜氏との出会いもここだった。
その夜、煮酒さんがセッティングしてくださった移転前の“進”さんで、燗酒をおいしそうに召しあがりながら話してくださったことの数々。
翌日は“鷹勇”大谷酒造にもご一緒させていただき、坂本杜氏とご対面。仕込み室で枯らしてあった“蒸し”をご覧になり、「ちぃと柔いなぁ」と“波返し”を指示されたことも思い出の一コマ。
歳は喰っているもののまだまだ駆け出しの身ゆえ、お目にかかる機会は少なかったけど、いつもやさしく声をかけてくださった。その先生が逝かれた。2006年5月1日20:00。
まだ80歳。寂寥が胸を満たす。
が、先生が蒔かれた種は全国で実を結び、おやぢのような変人もそのおこぼれに与っています。これからも遺志を受け継いだ造り手・飲み手・売り手の語りの中で、また残された著書を通して生き続けていくことと思います。
今宵はお通夜。参じることは叶いませんが、上原組のお酒で先生を偲びます。
長い間ありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください。合掌。

■上原先生の横顔■

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