いよいよ今回の最終話だ。時折、前が見えないような降り方をする雪に出会すが、長続きしない。
時間調整で寄った酒造資料館で明治29年(1896)発行された新潟市の商家の地図が。
「おぉ、堀がこんなに走っていたのか」「白山神社が信濃川の中に?」。このまま惑わずに街づくりがされていたら、情緒溢れ、柳都の名に相応しい街になっただろうに。開発が進んだとはいえ、伝統や風習とうまく共存させている金沢の街並みを思い起こす。越後人は流行り廃りに目を奪われ易く、歴史や継続に価値を見出すことが下手なのかもしれない。
さて、目立つ看板もないから見過ごしてしまった某蔵。二度目という連れの後から事務所へ。
中年の男性が一人だけ。「え!? この方が?」。なんとご当主だった。電話の声から想像していた姿よりずっとお若い。というか、年寄り臭い嗄れ声(^^; の持ち主だったのだ。
百聞は一見にしかず。実際にお会いしてみないと分からないものだ。
お茶をいただきながら、甑倒しを終えられた今年の造りを振り返ってもらう。
「いやぁ、米の出来が悪くてねぇ。スカスカだから、困るくらい溶けちゃうんだ。で、粕が出ない。xx%なんて、おかしいでしょ?その割に味はきれいなんだな」。
この米が溶け易いことと粕が少ないことは、今回訪ねた各蔵で異口同音に耳にした。
「もっと一杯造ってれば後のに手は打てたんだけど、分かった時には造り終わってた。あはははは」
繰り返しになるが、こちらのご当主、寡黙な初老の方をイメージしていたのに、まったく正反対。冗談も交えて何でも話してくださる。
蔵を見せてくださることになったが、なぜか手にしたお盆の上にきき猪口が二つ。「?」。
事務所の奥がすぐ蔵になっていて、右手では全量瓶燗という火入作業の真っ最中。左手には某先生の教えを忠実に守った釜が、次ぎに火を入れられる日を待っている。
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一番奥にある麹室の前は広々。米の引き込みや出麹は窮屈な思いをせずにすむ。作業性は良いだろう。発酵途中の醪タンクを覗かせてもらう。泡は低く、細かい。
「醪日数はだいたいどれくらいに?」「一応、全部30日を目標にしてるけど」。結構長めじゃない?
「良かったら‥」柄杓を差し出されたので、少し味見。穏やかな甘さ。「まだまだですねぇ」と半可通ぶりを。(^^;
次は槽場。おぉ、佐瀬式の縦型が2台。いや、一方は地元の鉄工所の銘が入っている。「地元で直してくれるところがあるから」。蔵元はどこも物持ちが良い。
40%の出品予定酒を見せていただき、もっとも古い部分という2階に上がる。
どこの蔵を見てもそうだが、現代では再建しようがないだろうと思われる梁や柱。酒蔵そのものが立派な文化財なのだ。
事務所へ戻る途中、正面奥で間もなく出荷予定のしぼりたて生のラベル貼りを黙々と続ける蔵人さんたちの姿があった。
事務所に貼られたたポスターの『大山 新酒・酒蔵まつり』(*1)のことを伺うと、たいへんなにぎわいとか。
「一応、新酒になってるからその年の酒を出すんだけど、家のはなんも味がねぇ」と笑われた。
先ほどの40%や火入直後の酒などをみせてもらいながら、話は続く。
「先生に教えられたとおり麹を締めているから、まぁ渋い酒ばっかりで、いつになったら売れるんだぁって」と、今度は苦笑が混じる。
「地元用の普通酒がまったく売れなくなったから、量はどんどん減った。だから、中には早く売れる酒もないとたいへんなことになる」と、蔵元の悩みは何処も同じようで、じっくり構えていられる蔵は地力があるんだなぁとあらためて思った次第。
しかし、山形の蔵元はどこも素敵だ。きちんと押さえるツボを押さえ、量は落ちてもひたすら辛抱。自分の信念にブレがない。その信念が込められた酒に出会えた歓びを胸に庄内を後にしたのだった。
*1:【大山 新酒・酒蔵まつり】
今年のまつりについては、こちらを。