年明けの便り2013
恒例となった木曾の佐藤阡朗さんの48回目となる『たらの芽通信』を拝借いたしまする。
古希を迎えて(国定高齢者)
七十歳ぐらいでは今や稀ではないが、青少年時代にこの日の姿は全く想定外であった。
先日小さな洋食屋のメニューに(ホットケーケーキ)が有った。早速等々力駅近くで生まれて初めて食べたのを思い出して注文した。田舎から出て二十歳の舌にはこの世の物とは思えない美味であったと記憶していた。
運ばれたそれは違っていた。三枚重ねである、パンの中央が膨らまず平で、縁が厚く黄色が強く、マーガリンがすでに塗ってあって脇の蜜入れは蜂蜜であった。許せない!
焼立てで、縁がうすく、太鼓の上の茶色の面で角のバターが熱さでスーと滑り始め、そこへメープルシロップを惜しげもなくしっかり流し掛け、下の段には滲むほどシロップが浸みていてこそホットケーキである。似て非なるものを食べる気はない。呆然と見た。
今から二十年ほど前、田舎の兄が嫁にスイトン(田舎ではツメリ)を所望した。難なく彼女は作って出し、食した兄は「スイトンじゃない」といった、二人で兄の姉に頼んで翌日食べに行ったそうである。その後義姉は夫の頼みでのスイトンは絶対作ってやらなかったと聞いた。「思い出は作れない」のだそうだ。
美味しさや、舌の感覚はその背景とともにある。五感は人生の本能記憶として刻み込まれその美感覚は消えないらしい。
最初は最後につながる、職人の段取り手のリズムは本能に高まるから美しいのだ。最初の実感は巨大でしかももう抜けない。2013年平成25年1月
木曽 漆工 佐藤 阡朗
改めて、穏やかな一年でありますように!
今年もよろしくお願いいたします。