変わりゆくもの
巷が仕事を納めた翌日に襲ったドラムカートリッジの交換時期到来から、窮状を凌ぐ代替プリンタの設定で躓き、とうとうハードディスクのフォーマットとOSのクリーンインストール後の再セットアップにまで発展したPCトラブルに振り回され、年賀状の続きどころかコメントも放置したまま、寒に入って一週間が過ぎまする。
今どきWindows98SEなんぞを使っているからでしょうが、かといって8コア化されたMac Pro、いくら速くなったとはいえ、貧乏酒屋にはとても手が出ませぬ。
しかし、初めて買ったMacintosh Ⅱsiは、CPU: 2×3.2GHz Quad-Core Intel Xeon・RAM: 4GB(4×1GB)・HD: 2×1TB 7,200rpm serialATA 3Gb/s・Graphic card: NVIDIA GeForce 8800 GT 512MB GDDR・Optical Drive: 2×SuperDrivesにした最新Mac Pro並みの値段だったんだから、あの頃はよかったのね。(苦笑)
またもやいただいた賀状をネタに…。
木曾の佐藤阡朗さんの43回目となる『たらの芽通信』を拝借いたしまする。
徒弟制度・マイスター制度今年一年のあいだに、二十代、三十代、の若者五人ほどから、私と同じ様な仕事をしたいとの希望を聞いた。直接つよく訴えられると辛いものがある。
私が徒弟に就いたとき、二十三歳で師は六十四歳、丁度よく似た年回りである。しかし、時は大きく動き、世の姿はかわった。職業訓練校、専門学校、大学、短大の工芸科、産地における漆芸学院等々、皆さんそれぞれに関わり勉強し毎年々々社会に出る。そのとき、もし間違ってその若者が、『すぐれた職人に成りたい』等と稀な了見をもったら、そこから此の日本に道がないことに気付かされる。
私たちが徒弟制度最後の弟子だった。住み込み、師と共に生活し、職人の一年間のリズムを体得し、暮らしの雑用をこなし、兄弟子、外弟子、出入りの職人、取引先への対応をまなぶ。大変なのは、お上さんや家族への気遣いと作法であった。
今はもうない。人と腕を作る場が無い。マイスター制度も手仕事職人に未来がない今、国が造るわけも無い。腕を振るう数の仕事が無い。此の国の生活工藝文化を『無駄の無い美しい身のこなしで手際よく確かに、適正な価格で』生み出す世界に身を投じたいと願う愛すべき若者を、受け取れない自分が悔しくなさけない。私たちはそんな時代と世の中に、一緒に立っている同志だと思う。四十三年間「ふつう」を求め続けたわたしを目指すなら、諦めずにその夢を追ってほしい。叶わぬ恋は人を強くするそうだ。
造り手のほうには今年も新たに若い血が入っているようですが、その結晶を飲み手に伝える売り手は…といえば、
「ふつう」を求める限り、相も変らず『叶わぬ恋』に振り回されるのでしょうか。
私は昔から「職人」に憧れているんですけど・・
職人と言われる人と話をしていて、安易に「私もそういうことができたらって思うんです」と言った時、「軽々しくいうもんじゃない」と叱責され反省したことがあります。
でも、そういう技術はどんなに少数派で経済的に苦労するとしても、ものすごく大切なことだし、絶やしてはいけないんですよね。
未だに時々、仕事を全部放り出して、そういう厳しい世界で技術を身につけたいって思ってしまうのだけど、もう今の私には無理なんだろうなぁ・・
ものすごい精神力と情熱が必要ですね。毎日飲んでヘラヘラしてる私じゃぁ無理。
To hirorinさん
様々な職人技もその価値を認めてくれる人があってこそ成り立つ訳で、
簡便に済ませようとする世の習いが大きく立ちはだかっていますよね。
本物の技を絶やしてはいけないとは思うものの、それを支えるだけの
余裕がないとただの傍観者。X-)
それなりの覚悟は必要と思いますが、無理ではないでしょう。
何の職人を?
花火か西陣織♪
To hirorinさん
それ、どこが「か」で結びつくのでしょ。;-)
花火師は命懸けのところがありますし、
織物は漆同様、分業制が定着していますからどこに携わるか。
いずれにしろ「姫、お覚悟を」ですな。(笑)