西方見聞録 “鳥取編” -壱-

大山山陽道・岡山道・中国道・米子道を経て、やっと鳥取県に入ったら天気予報どおり雪が舞ってきました。といっても、タンポポの綿毛が乱舞するような降り方で、積もる心配はなし。遠くに見える大山にかかる雪雲の仕業でしょうか。
生酛の上槽を見たいばかりに出発を遅らせたため、やはり午前中に辿り着くのは無理のよう。「ならば…」とここから30分ほどであの方のおられる倉吉です。
「こんにちは〜♪」
煮酒さん”と奥様に迎えていただきましたよ。こちらに伺うのは4年ぶりでしょうか。煮酒さんの大好物を手渡しながら「昨晩、これに生酛の酒母をかけたらもう絶品♪」と話すと「で、その酛は?」と煮酒さん。
「いいですよ、また(飲むのが)長くなるから」と奥様。ありゃま、こりゃ藪蛇でしたわ。(汗)

楮「じゃあ、また後ほど…」とそそくさと目的地へ。
倉吉からはR9が改修されたので自動車専用道路となっている区間をひとっ走り。

今は鳥取市になってしまいましたが、以前は気高郡だった青谷町は “因州和紙” でも知られる地。目指すお蔵を横目に眺めながらもう少々奥へ。
あおや和紙工房”でランチを。
和紙の里らしく、庭には原料となる “楮” が植えられています。花や実も見てみたい。
混んでいて出てくるまでが長かったランチを掻っ込み、さぁ、行きますか。

こちらも二年半ぶり。ご当主はお出かけとのことで、お蔵のほうへ回ります。
“まっとうな純米酒” を造りたいばかりに “杜氏” の肩書きを投げ捨て、そしてあのグルグル “生酛” に出会って、さらに深みに嵌り、神亀酒造で過ごした昨季(2005BY)のことが “闘う純米酒 -神亀ひこ孫物語-” でも紹介された越後の変わり種M氏は、今季(2006BY)ここ、『日置桜』でやっと “生酛造りたい病” から逃れることができたのでした。
「こんにちは〜♪」と分析室に入り、しばらくぶりに会ったら、すっかり顔が変わっていたM氏の案内で、彼が “酛(酒母)” を手掛けた生酛の醪を見せてもらいます。

生酛醪なかなかの面でしょ!?
竹鶴酒造で見せていただいた酒母同様、ホント、冴え冴えときれいな醪。

「せっかくだから、中途半端で上槽せずに最後までしっかり切ってほしい」と帰ってからご当主にお願いしたら、「やってみましょう」とうれしいお返事が。「ただし、出せるのは三年後かも」という注釈付きで…。
余計なことを云っちゃいましたかねぇ。(苦笑)

こちらはすでに “甑倒し” が終わっていましたから、“麹室” も用済みでしたので、ご当主のお帰りを待って、きき酒タイム♪

きき酒 1きき酒 2

「あ、これいいっ!!」と思ったのは、左側の一升瓶。独特の酸がありながら「今からこんなに呑めていいの?」という気がしないでもありませんでしたが、「生で出せます?」とまたもやお手つき。これについては来月まで、しばしお待ちを♪

きき酒 3こちらは熟成用。同じBYながらまったく別物なれど、この先どう変わるのか。そして、いつ、どのように…。
そのすべては名ブレンダーでもあるご当主のベロ次第ですな。

造りのことや市場のこと、果ては蔵の経営まで、様々な話を伺っていたら、「おぉ〜、こんな時間に!? ヤバいっ!!」と慌ててお蔵を辞す羽目に。欲張ったスケジュールのしわ寄せですな。X-)

「また夜に〜♪」とご当主とは数時間後の再会を約して。
「造りを終えて戻ったら、一杯やりましょ♪」とM氏に…。
M氏の元気な顔も見ることができたし、やはり伺ってよかったぁ。
山根酒造場のみなさま、たいへんお世話になりました。ありがとうございました。

【つづく】

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西方見聞録 “鳥取編” -壱-” に対して2件のコメントがあります。

  1. 三平 より:

    ・・・
    お〜い、玉ちゃ〜ん・・・(以下略)

  2. おやぢ より:

    >三平さん
    おや、座布団をくださるんで? (笑)

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